証し
『主がわたしの手を取ってくださいます』 (2017年7月) H・O
私は、17~18年前から、この教会に通っています。そして、15年前42才の時に洗礼を受け、クリスチャンになりました。
教会はどんなところでしょうか。
まず、教会はどなたでも来ることができます。
そして、教会に通われていて、キリスト教信仰を持つようになった方は洗礼を受けると、クリスチャンになり、この栗橋キリスト教会の教会員つまり教会のメンバーになります。それは、聖書によると、「神の家族」に迎えられるということです。
ですから、教会に来ている人の中には、洗礼を受けて教会員になっている人と、まだ洗礼を受けておらず、教会員ではない方がいらっしゃいます。
さて、私は、17~18年前、教会に通い始めた頃、どう考えていたかというと、教会の人はみんないいひとだな、という印象を持ちましたし、聖書の勉強は面白くて、教会は好きになりましたが、洗礼を受けてクリスチャンになるのは無理だろう、と考えていました。
なぜなら、私の家は、浄土真宗に熱心な家で、「クリスチャンになるなら、O家の人間ではない。」という雰囲気だったからです。
しかし、私は、教会の礼拝に出席したり、自分で聖書を読んでいくうちに、神さまが私を深く愛しておられ、私を待っておられる、という確信が日に日に強くなり、ついに、神さまの招きに抵抗しきれなくなりました。
私は、洗礼を受けて、誰はばかることなく、クリスチャンという自分の立場を世間に公けにしたい、と思うようになりました。
しかし、そのことを家族にどう切り出したらよいものか、それから半年ほど、毎日、聖書を読み、祈り、悩みました。
その時、神さまは繰り返し、「恐れるな。私があなたとともにいる。」というみことばで私を励ましてくださいました。
そして、ある日、意を決して、夫に「洗礼を受けたい。」と切り出したとき、当然、反対されることは覚悟の上でしたが、意外なことに夫は「俺はおまえがまじめな気持ちでやっていることがわかった。俺は許す。」といってくれました。
ところが、その後、親類からの反対が起こり、「H子さんはクリスチャンをやめてほしい。
クリスチャンなら、O家の人間ではない。」とはっきり言われましたが、その時も、夫が
間に入り、いつも頭を下げて弁明してくれました。
聖書に「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練にあわせるようなことはなさいません。むしろ耐えることのできるように試練とともに、脱出のみちを備えてくださいます。」というみことばがありますが、私の場合は、クリスチャンになるのはとうてい無理と思われる環境で、夫がいつも脱出の道になってくれました。
それから、15年たちますが、15年間にクリスチャンになったことを後悔したことがあったかというと、一度もありません。逆に、もし、クリスチャンになってなかったら、と考えると今頃、どうなっていたかと思います。
キリスト教は、ご利益宗教ではありません。
クリスチャンになったからといって、良いことばかりあるわけではありません。
しかし、どんな時でも、神さまが一緒にいてくださる心強さ、みことばから教えられ、神さまの驚くばかりの恵みをうけ、喜び、感謝し神様を賛美し礼拝する生活のすばらしさは、何物にもかえられません。
クリスチャン生活ほど価値のある生き方は他に考えられません。
誤解を恐れずに言えば、世界の全てを敵に回しても、クリスチャンになる価値があったと思っています。
もし、みなさんの中にクリスチャンになりたいけれども困難だなと思っている方がおられたら、本人さえあきらめなければ神様は生きていて必ず助けてくださいますので、恐れず、祈りつつ前進していただきたいと思います。私もそのような方のためにお祈りしています。
『白旗を掲げる』(2016年6月) T・H
私は,T・Hと申します。年齢は52歳。3年前にこの栗橋キリスト教会で洗礼を受けました。
今回は私が教会生活の中で感じたことを証します。
10年以上前、私がキリスト者になる前、初めて栗橋キリスト教会にきたころの話です。当時赴任されていた牧師、奥田先生からこのようなことをいわれました.「T・Hさん。クリスチャンになるってどんなことかわかリますか。?神様に白旗を掲げる・降伏することなんですよ。」この話をきいて、正直、私はいってる意味がわかりませんでした。牧師というのはおかしなことをいう人なんだなあぐらいの感想しか持ちませんでした
クリスチャンになった今、私は奥田先生のこのたとえがよくわかります。なぜなら。私は、神様に降伏したからです。この世の中はいろいろな徳目があります。たとえば、「頭がいい」「お金をもっている」「美しい」「性格が良い」「社会的な地位がある」「健康だ」「良いセンスを持っている」など。クリスチャンにとっての一番の徳目とは、「神さまに従いきる」こと、降伏することがもっとも価値があるのです。
「従うこと」に価値を見出すというのは、この世的な感覚では反発を覚えると思います。普通はどんなことであれ、「自己実現」とか、「自分らしく」とかいうことに重きを置くのが現代社会のあり方だからです。キリスト教のことを「奴隷道徳」という人もいますが、ある意味当たっています。ただし、それは、「何に従うか」ということを見失ったら、「奴隷道徳」と揶揄されても仕方がないということです。
ここで一つのたとえ話をします。わたしの今の立場はある意味、太平洋戦争の時の日本兵、連合軍に降伏して捕虜となった元日本兵に似ているところがあります。日本兵のなかのある人は、「皇軍必勝」「神州不滅」を信じて戦ってきたが、病に倒れて身動きできずに捕虜となる。あるいは空腹でやむをえず自ら投降したのかもしれません。そんなにしてもそのままでは確実にしに至る状況であったものが、捕虜となることでいのちだけはとりとめることができました。それと同じように私はこの世が徳目のために戦ってきましたが、挫折して神さまに捕らえられ、「魂の死」から「救い」に移されました。
このような私の経験は特殊な事例でしょうか?いいえ、いまやリストラ自体はごくありふれたことです。「この世の組織の損得のために個人が犠牲になる」ことは決して珍しいことではありません。この日本では、わずか70年前には、「お国のために」個人は「死ね」と言われました。また、そのわずか70年前には「お家のために」個人は「死ね」と言われました。「会社」も「国」も「お家」も、その他何であれ、いつかは滅ぶべきこの世のものに頼っても虚しい結末しか期待はできません。
たとえ話に戻ります。神さまに降伏した私は、「命拾い」をしましたが、それだけでしょうか?いいえ、わたしは降伏することによって、「自由」を得ました。「この世の常識だけ」という発想から、「神さまの視点」という新しい視座を得たのです。生まれてこの方、形作ってきた固定概念とは別のものの見方を学び取ることができるようになったのです。これは先人訓の「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(
はずかしめ)を受けず=生きて捕虜とはならない」で凝り固まっていた日本兵が、実際に捕虜になることで「生きていてもいいんだ」という今まで考えてもみなかったことが本当に分かった事例と似ています。
もちろんこのたとえ話にある連合軍とまことの神さまは違います。ただ、わたしの目から見ると洞窟に立てこもって苦しみながら戦い「肉体の死」を待っている日本兵と、この世の価値観にしがみつき「魂の死」を待っている現代の日本人がダブって見えてしまうのです。わたしの今の姿は未信徒の方から見れば、「みじめ」にみえるはずです。なぜなら一生懸命戦っている日本兵から見れば、降伏した元日本兵は「みじめな負け犬」としか言いようがないからです。ですが、それでもわたしは呼びかけたい。「そこで頑張っても死を待つだけだ!」と。まだイエス・キリストを受け入れていない方々に神さまへの降伏をすすめたいと願っています。
試練とともに歩む(2014年1月) S・O
教会に初めて行ったのは、中学生のころだったと思います。中学の同じクラスの友人からクリスマス会に誘われて教会に入った記憶があります。厳そかながらも暖かい所という印象でした。入学した大学はカトリック系でしたが、ミサなどには参加せず、宗教学を一般教養の科目で選択した程度でした。社会人になってからも教会には全く関心がありませんでした。趣味で始めた合唱でミサ曲を歌ったことがありました。内容はキリストの受難と復活を歌ったものでしたが、その時は自分との関わりなど感じることはありませんでした。
今から20数年前に、長男の友人から教会学校へのお誘いがあり、まず子供たちが教会に通うようになり、その後、妻も行きはじめ、私もクリスマス会などに誘われて教会に行きました、最初は、居心地の良いところくらいの感じでした。以前から私は、地球、宇宙の誕生には創造主がいると感じていました。その方はどんな方なのか?知りたいと思っていました。
牧師を通して語られるみ言葉を聞き、罪深い人間の身代わりになって死んでくださったイエス・キリストをこの世におくられた神様の愛を感じることが出来るようになっていきました。また、死後3日目蘇られたこと、死に打ち勝ったことを知り、これだと決心しました。
背景には、私には障害のある長男がおり、どうして私の家庭に障害を持つ子どもが生まれたのか、ずっと悩んでいました。
私は、長男への接し方に自信が持てず、自己嫌悪に陥ることも度々でした。罪深いと自分をいつも感じていたのです。その長男に導かれる形で教会に通い、今から20年前に妻と長男と私の3人が同じ時期に、洗礼を受けることになりました。
神の前にへりくだり、長男への接し方を変えようと固く信じたからでもあります。長男を我が家に誕生させてくれたのは、恵みなのだと感じる瞬間でした。
その後、長男は養護学校を出て、何度も就労のチャンスをいただき、一般企業にも就労できましたが、思うようにいかず、今は福祉施設におります。我が家では、長女もその後、洗礼を受け、家族そろって教会に通うようになっていました。しかし、日常生活では争いや喧嘩も度々ありますが、神様のもとでの家族の一致があることは恵みです。神さまから多くの試練を通されますが、でも、耐えることのできない試練ではないと確信しています。必ず、解決の道も備えて下さる神様に常に慕いつつ生きております。
第一コリント10章13節
あなたがたの会った試練はみな人のしらないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出のみちも備えてくださいます。
「主は生きておられる」(2013年4月) N・T
このことをはっきりと確信できる出来事を数年前に体験したことをお話しします。
私は4人兄弟の末っ子として、父が出征中に生まれました。父が復員してきたときには9ヵ月になっていました。そのことが原因かどうかはっきりとこれという原因はわかりませんが、父と私はうまく親子関係をもつことができませんでした。
思春期になるころ、わたしは、家に居場所がないように感じて、おおげさにいえば、人生の希望も見失いそうでした。「あいされたい」そんな少女時代、友人に誘われて行った教会で、神の愛を知りました。「神様が私を愛して下さる」そのことを知ったとき、生きる希望をもつことが出来ました。しかしそれと同時に「あなたの父と母 を愛しなさい」という聖書のことばに、私の罪をしめされたのです。なぜなら、私は父を愛せないという現実があるからです。そんな中でも、洗礼に導かれ40年以上が過ぎていきました。主が私の罪を赦してくださたように私は父を愛しているだろうか?という思いは心のどこかにいつも残っていましたが、父が亡くなってしまった今となっては和解することもできません。しかし、主は、その和解のときを与えて下さったのです。実家に帰省した時、姉が父の古い日記を持ち出してきて、「もう整理しようと思うんだけどどう思う?」と言ってきたのです。私は「そうだね~」と言いながらページをめくっているとちょうど父が私をおぶって父の実家にあずけに行くときの様子がかかれていたのです。(母が病気になり乳飲み子の私に乳をのますことができなかった)。12月の寒い季節で父は10キロほどの道を私をおぶい歩いて実家に向かっていました。「自分は歩いているから身体は温かいが背中のN子はさむくないか」と私の足を自分の手で温めながら歩いたというのです。その時、突然、父のぬくもりが私の足に伝わってきたのです。「ああ、私は、父にこんなにも愛されていたんだ。」涙があふれてきました。父のぬくもりまでもはっきりと教えてくださった主に感謝のお祈りをお捧げしました。主はいきておられて人間には不可能と思われることもお出来になります。今、あなたが悩んだり、苦しんでおられるなら、すべてをご存知の主に信頼してゆだねてみませんか。
創世記ーヨセフとその周辺の人々(2013年4月) N・O
創世記には、色々な人物が登場するが、そのどれもがとても、「これでも神の民というのか」という驚きあきれるおもいを持つ人ばかり。
創世記37章から始まるヨセフをめぐる物語もそうである。ここにもいい人はいない。自分かってである。ヨセフにしたところで、自分が父に溺愛されているのをいいことに、増長していた。兄弟仲がわるかったのは元はといえばヤコブがラケルをあいしていたにもかかわらず、レアも妻にしたことが原因。人の営みは因果応報である。
しかし、いい人とは言い難い人々を神様は用いられる。摂理が働く。神様のご摂理の内を歩むものである。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたのまえに宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ(出エジプト記33:19)私たちの善悪を超えて、主権者であられる神様が用いられるのだ。
罪からの解放(2012年10月) Y・K
私が初めて教会に行ったのは、中学二年の時でした。友人に教会に来ないかと誘われたのが最初でした。それまではキリスト教は三大宗教の一つで、キリストは偉人の一人だと思っていました。初めて聖書の話を聞いたのですが、神の存在はわかりませんでした。別に進化論を信じている訳でもなかったのですが、(サルが進化して人間になるというのは信じられなかった。)非科学的だと思っていました。科学的でありたいと思いますが真理=科学であるとは完全には思いません。当時、真理であると思われたのが現在の科学の発展によって真理でなかったことが証明されたものもあります。科学とは心理を追求する学問だと思っていました。神の存在は私の知識を超えて、証明することができなく、人間にとって、『永遠の謎』だと思っていました。罪の話を聞いたときには、反感を覚えました。聖書の中では、心の中で思ったことも罪だといっているのです。罪を犯さない人間は一人もいない。これが人間だと自分に言い聞かせていました。。教会に行き続けたのは、聖書に興味があったからではありません。土曜日の午後ソフトが楽しくて生き続けただけの事です。高校一年の時、夏のバイブルキャンプの時、神様を信じました。素直になって自分の心の中を見つめてみると、どうしても自分の中に罪があり、自分で解決することができないと思いました。キャンプの時、イエス様が神の子で、私の罪の為に十字架で死なれ、蘇って下さった事、これから先、犯すであろう罪をも赦してくださっていることを聞き、主を信じ、罪から解放されました。
救いの証(2011年10月) T・K
私が初めて教会に行ったのは、中学二年の時でした。 誰かにさそわれてと言うわけでもなく、もちろん人生について悩んでというわけでもありませんでした。その頃はまだ今のような会堂ではなく、パチンコ屋の小さな借 家の集会で、私の家のすぐ前にありました。ちよっとのぞいてみようかなという好奇心から、その時なかの良かった友人が行っていたこともあって、中学生を対象としたバイブルクラスに参加しました。聖書を手にするのもその時がはじめてでしたが、神さまが唯一であること、神によってすべてが創られたこと、人間はみな罪を犯して生きていること。イエス様が十字架にかかったことによって私の罪が赦されたこと、そして、イエス様がよみがえり、死に勝利されたこと、聖書に書かれていることに疑いを全く感じませんでした。ただ、ここで語られている神様が本当の神様なのだということにはなかなか確信がもてませんでした。何か劇的な魂をゆすぶら れるような体験をしなければ信じられない、と思っていました。しかし、集会に集まる人たちと触れ合うなかで、また、「これが本当の神さまなら示してください」との祈りのなかで、少しずつ確信があたえられていきました。そして、イエス様を救い主として信じる決心をしました。高校三年のとき、ドイツ人宣教師のクレーマン師より洗礼を受けました。今日までには、神様から離れてしまいそうになったり、うちのめされたりすることもありましたが、神様を信じる者に、「ノックダウン」はあっても、「ノックアウト」はないと言われるように、神様がたすけてくださるなら何の心配もいりません。
『私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこからくるのだろうか。私の助けは天地を造られた主からくる 』
詩篇百二十一編一~二節