教会について

牧師の挨拶

ご挨拶

神様から愛されている皆様へ

当教会のホームページをご覧くださり、ありがとうございます。牧師の井口敏明と申します。皆さまに、ご挨拶かたがた自己し自己紹介させて頂きます。

栗橋キリスト教会

牧師 井口敏明

1.ご挨拶

自己紹介とともに、どのようにキリスト教を信じるようになり、牧師に導かれたのかをお話させていただきます。

いつ、どこで

私は、1961年に群馬県前橋市で生まれました。父と母は姉と私を精一杯の愛情を育ててくれ、家族といる幸せを感じながら少年時代を過ごしました。利根川の河原でよく遊び、上州名物の雷が大好きになった私は、自然を愛する子供として育ちました。

私は他の人以上に熱心に仏教を大切にする信心を持つ子どもとして育ちました。仏教を大切にする信心をもつようになったのは、私の名付け親がぶんぶく茶釜の話で有名な茂林寺の和尚であったからかもしれません。

宗教心に目覚めた私は、自分が生まれた日に基づく自分の菩提寺を探して、その菩提寺の言い伝えを守っていました。その言い伝えは、昔、洪水があった時に、「多くのうなぎが集まって橋を作って人を救ったので、この寺を守る者はうなぎを食べてはならない。」というものでした。私は言い伝えを律儀に守り、うなぎを食べないで育ちました。

クリスチャンに

しかし不思議な神様の導きにより、中学校3年生の時に、家の近くにある教会で牧師がしていた学習塾に通うようになりました。高校受験が終わった後、教会学校に通うようになりました。そして、礼拝にも出席し、神さまを探し求める生活を送るようになりました。

その頃、私には、思春期にある不安な気持ちに加えて、ある特別な焦燥感がありました。それは、「ひとはなぜ生きているのだろうか・・・」という疑問を持つようになったことでした。

心に芽生えた隙間風・・・。いえ、心の中に大きく開いた穴、空しい思いを大切にしていた仏教は解決してくれませんでした。

私は高校2年生の時に、教会のサマーキャンプに参加しました。

その時にメインメッセンジャーとして奉仕された牧師からこんな話を聞きました。

信仰を持つということは、空中ブランコに乗っている人が持っているバーを離して初めて向う側のバーに移れるように、抱えている悩みや問題を一度手放して、イエスさまに悩みをお任せして従うことなのですよ

という勧めでした。

イエスは彼に言われた。「私が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。ヨハネの福音書14章6節

わたしは「道であり、真理であり、いのち」であるイエスさまに自分の悩みや問題をおまかせする決心をし、その後1977年のクリスマスに、私が16歳であった時に洗礼を受けてクリスチャンになりました。

牧師に

その後、結婚して一男が与えられ、社会人として親子三人で暮らす中で、神さまの導きにより、1993年に、牧師になるために神学校に入りました。

牧師や宣教師になることは、自分の身を神さまに献げて神さまに仕える働きを致しますので、教会では「献身する」という言葉を使っています。

実は、神さまは私に高校3年生の時に「献身」への思いを与えて下さいました。けれども、大学に進学し、社会人として仕事をし、結婚するように導かれた後に、献身するように神さまからの導きがありました。

聖書を学ぶ神学校を卒業後、香川県高松市の八栗シオンキリスト教会で11年間、牧師として仕える恵みを受けました。その後、北海道の札幌聖書キリスト教会で10年間牧師をさせていただきました。

そして、3年間、親の介護のために一般の仕事に従事し、2020年4月より、神さまの恵みにより、栗橋キリスト教会の牧師になりました。

恐れなく主に仕えるようにしてくださる神さまに、すべての日々において、主の御前で、謙虚に、正しく仕えることを願っています。(ルカの福音書1章74、75節)

2.最後に

皆さまのお話をお聞きし、そして、神さまに祈ることができます。いつでも、必要がある方は下記の連絡先までお願い致します。(面談等ご希望の方は事前にご連絡をお願い致します)

〒349ー1104 久喜市栗橋1337−8

TEL/FAX :0480-52-1862

井口 敏明

教会の歩み

栗橋町は埼玉県と茨城県の県境に位置し、利根川を渡れば、すぐ茨城県古河市である。埼玉県北葛飾郡栗橋町であったが、2010年の1市3  町(久喜市、鷲宮町、菖蒲町、栗橋町)の合併により久喜市と改名した。

 ドイツ宣教団体リーベンベラミッションのゲルトス師が古河よりトラクト配布などにより福音を伝え始める。1957年フジパチンコ店裏で最初の礼拝が持たれた。1984年新会堂が与えられた。2005年に法人取得。